心に収穫
先だって親類のお葬式で長野まで行く事がありました。ここ何年もご無沙汰しており、
10年振り位でお会いする方々ばかりでした。
弔時で行ったにも関わらず、自分には思いもせず不謹慎ながら「収穫」がありました。
それは、「子供の頃の心」とでも言うのでしょうか。
久々に合う従兄弟や田舎の伯父さん伯母さんが昔のままで、迎えてくださり、こちらも
久々等と言うものはどこにも無く話をしておりました。
いつの間にか今は、数字に追われ「欲」だけで仕事をし、「希望」だったり「夢」等と
いったものは、どこかに置き忘れてきた気がします。
勿論「夢」や「希望」だけでは生きては行けないのでしょうが、逆にそれが無く「欲」
だけの仕事も、気持ちが汚れるか、精神的な疲労が蓄積されるだけなのではないかと。
その先にあるのは夢か欲か